キタマサブログ
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焼き物

六古窯(ろっこよう)と織田信長

焼き物

↑日本六古窯公式HPより

六古窯(ろっこよう)とは

平安時代後期から鎌倉時代にかけて、各地でやきものの生産が始まりました。
瀬戸、常滑(ともに愛知県)、越前(福井県)、信楽(滋賀県)、丹波(兵庫県)、備前(岡山県)がその代表的な窯業地です。
これらはその後の激動期を生き延び、今日まで活動をつづけている窯場として有名です。
1948年頃、古陶磁研究家の小山富士夫氏は、これら中世から現代まで生産が続けられている、常滑、瀬戸、越前、信楽、丹波、備前を「六古窯」として提唱しました。

2017年にはこの「日本六古窯」は文化庁に日本遺産として認定されました。

瀬戸焼

瀬戸の焼き物は古墳時代の猿投窯から分かれた東山窯に始まります。
平安時代に高火度による施釉陶器が日本で初めて作られました。
鎌倉・室町時代を通じて、中国陶器に倣った祭器や茶湯を生産して重宝されました。
戦国時代には多くの陶工が隣接する美濃に移住したため窯が激減しましたが、江戸時代初期には尾張藩が陶工を美濃から瀬戸に呼び戻して窯場を復活させました。
江戸時代後期には磁器の招請にも成功して、活況を取り戻して一大産地となりました。

常滑焼

常滑焼は六古窯の中でも最も古い歴史を持ちます。良質な陶土に恵まれ、中世において圧倒的勢力を誇ったといわれています。
大型の甕や壺が生産されて海路で日本各地に運ばれる一大産地でした。

12世紀には中国の陶磁をモデルとしない、日本オリジナルの形を備えた大壺を生産しました。
14世紀には青森から鹿児島までを商圏に取り込んで、太平洋沿岸部を中心に日本全国に広がっていました。

信楽焼

信楽焼は、奈良時代、聖武天皇の紫香楽宮(しがらきのみや)造営の際に瓦を焼いたのが始まりとされるほど歴史があります。
無釉の焼締から生まれる素朴でおおらかな造形とざっくりとした肌合いが魅力です。
白い長石の粒、自然釉や赤い火色、胡麻状の窯変が特徴です。
茶の湯が流行すると農家で使う壺や桶が茶の湯道具として取り上げられ、枯淡な風合いが茶陶として好まれて評価を高めたことで、桃山時代から江戸時代にかけて茶陶が盛んに焼かれました。

越前焼

もとは須恵器を焼いていましたが、平安時代末期に常滑焼の技術を導入して無釉の焼締陶が焼かれ始めます。最初に窯が築かれたのは現在越前陶芸村がある小曾原だといわれています。
主に壺、甕、すり鉢などが生産され、堅くて丈夫な越前の壺や甕は越前海岸から船で北海道から島根まで運ばれ重宝されたました。
室町時代末に最盛期を迎えますが、その後瀬戸焼などに押されて次第に衰退します。

丹波焼

丹波焼は、開窯以来、焼締の茶褐色の素地に緑のビードロ上の自然釉がかかった素朴で重厚な甕や壺など、日用品が主要製品でした。
常滑焼の影響を受けて平安時代末期に開窯しました。中世は穴窯で無釉の壺や甕、すり鉢を主体に生産していました。
桃山時代から江戸時代にかけて形や装飾に変化がみられるようになり、江戸時代には丹波独特の多彩な技が生み出されました。

江戸時代は登り窯が普及したことで「丹波焼」「立杭焼」と呼ばれるようになります。
また赤土部釉が開発されて、瀬裕陶器が焼かれるようになります。
江戸時代末期には立杭周辺で白土が採取されて「白丹波」と呼ばれる白釉を施した陶器も登場しました。

備前焼

備前焼は釉薬をかけない焼締として代表的な焼き物です。
その特徴は素朴で力強い風合いのなかに、土と炎が生み出す窯変がエッセンスを加わえていることです。。
瀬戸、常滑、丹波、信楽、越前とならぶ六古窯の一つとして、古くから歴史のある焼き物生産地で、西日本で甕や壺などが広く流通してきました。
素朴で無釉の備前焼は、千変万化の窯変が特徴です。窯変とは窯の中で素地と釉薬が偶然に起こす変化のことです。
窯変は窯に詰める際に置く場所や炎の当たり方、そして灰のかかり具合によって変化するので、同じものは二つとありません。

六古窯と織田信長

六古窯と織田信長の関係は、歴史の教科書にはほとんど出てきません。
尾張領国内にある瀬戸の窯業を保護し奨励したこと。常滑における茶器の生産を制限したことなどが語られるくらいです。

でも、信長が上洛した後に天下統一に向けて最初に征伐に向かったのが朝倉氏が治める越前であったこと。明智光秀に丹波を攻略させたこと。羽柴秀吉に担当させた中国攻めの過程で備前も支配下に治めたことを踏まえると、信長は瀬戸以外の地域の焼き物生産に制限を加えようとしたのではないかと思えるのです。

そこで私は信長の天下統一に向かったといわれる一連の行動は「瀬戸物を売りたかっただけ」なのではないかと仮説を立てています。

「信長は瀬戸物を売りたかっただけ」説の概要はこちら