明智光秀が主人公のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」が始まります。
戦国時代最大の下剋上を成し遂げる明智光秀が主人公ですので、結果的に主君である織田信長、そして光秀と信長の関係にも注目が集まると思われます。
織田信長は、幼少期「うつけもの」と呼ばれながら、家督を継ぐと混乱していた織田家、そして尾張を統一し、当時の有力戦国大名であった今川義元を桶狭間で打ち破って名をあげます。
足利義昭を奉じて上洛してからは、浅井氏、朝倉氏、武田氏、石山本願寺からの圧力を受けながらこれらを打ち倒し、天下統一の直前まで行きます。
でも、最後には有力家臣の明智光秀に裏切られて本能寺で炎の中に消えていく(死体も見つからない)という波乱万丈の人生を歩んだ武将として、戦国武将の中でもトップクラスにファンが多いですよね。
でも、本当にやりたかったのは戦に勝つことでもなく、天下を統一することでもなく、「瀬戸物を売りたかっただけ」なんじゃないか?と思っています。
きっかけはマンガ「信長協奏曲」3巻にあるこの場面。




信長は瀬戸でかっこいい茶碗をたくさん作って売ることで、尾張の国を豊かにすることを思いつきます。
このシーンから発想を広げると、信長が積極的に攻めて領地化した地域は、どれも古くから焼き物の産地で有名なところなんだと気づいてしまったのです、私は。
日本には中世から陶磁器の生産が続く「六古窯」という6つの主要な生産地があります。
それが信長の生まれた尾張にある瀬戸と常滑、そして足利義昭を奉じて上洛する際に破った六角氏の領地であった信楽、そして上洛後に朝倉義景討伐を名目に攻め込んだ越前、さらには明智光秀に攻めさせた丹波、羽柴秀吉を中国方面軍の長と任命した中国攻めの中で配下に治めた備前なんですよね。
当時は六古窯なんて言葉はなかったですけど、地元の瀬戸の焼き物を売りたいがために競合の産地に戦を仕掛けて領地化することで、信楽、越前、丹波、備前の焼き物を自由に売らせないようにしたかったのではないかと思うのです。
ちなみに、信長は尾張国内では瀬戸以外での焼き物製造を禁止して、常滑の窯業生産を一時衰退させます。
他にも、
足利義昭を上洛させ、室町幕府15代将軍の座に就けた際のご褒美として、副将軍や管領の地位を与えようとしたのに断ったこと、
茶の湯に力を入れたこと、
楽市楽座を設けたこと、
堺や大津、草津などの交通拠点を治めたり道路を広げたりしたこと、
など、瀬戸物を売りたかったための行動ではないか?と思える状況証拠がたくさんあります。
このブログでは「織田信長は瀬戸物を売りたかっただけ」という仮説を軸に、信長の49年の生涯を掘り下げていきたいと考えています。